2014年2月2日日曜日

伊藤みどりの伝説の演技、そして浅田真央に託された大きな物語


 22年前の1992年、アルベールビル五輪のシーズンの伊藤みどりは好調で、金メダルの筆頭候補に名乗りを上げていました。
 しかし、五輪直前に突然調子を崩してしまい得意のジャンプが決まらなくなってしまいます。
 引退までに500回以上の治療をしたという度重なる怪我による肉体的な負担、金メダル候補としての精神的プレッシャー、そして試合の2日前に訪れた突然のスランプ。ベテランのトップ選手が背負う様々な試練が彼女の身に圧し掛かっていました。
 不調の中で行われたSPでは、安全策を取りトリプルアクセルを回避したものの、代わりに実施したトリプルルッツで、転倒。FPでは冒頭にトリプルアクセルに挑戦しますが失敗してしまいます。
 しかし、ジャンプの申し子と呼ばれた彼女がこの女子最高難度の大技にかける思いは計り知れないものだったのでしょう。どの選手も体力がなくなり辛くなる演技終盤、彼女はトリプルアクセルに再び挑戦、見事に成功させます。
 後年恩田美栄選手がこの時の伊藤みどりについて「もう並大抵の体力じゃないです。それに同じジャンプを一度転んでるにも関わらず。私にはできない。跳ぶとしたら死ぬくらいの覚悟がいる」と語っています。
 この時の使用曲はラフマニノフピアノ協奏曲第二番。トリプルアクセルが決まったのは、ちょうど曲調が最高に盛り上がる部分、魂を奮い立たせるようにピアノの音とオケが鳴るパートで、このドラマチックな演技に会場は最高に沸き立ちました。
 そしてこれは同時に女子シングルの選手が五輪史上初のトリプルアクセルを成功させた歴史的な瞬間でした。
 この試合で伊藤みどりは銀メダルを手にし、金メダルは「マラゲーニャ」を演じたクリスティヤマグチの胸に。伊藤みどりは五輪金メダルを手にする事のないままアルベールビルを最後に引退しましたが、フィギュアファンにとっては伊藤みどりの凄さと勇敢さを焼き付ける伝説の演技となりました。
 伊藤みどりは後に「跳ばなかったことへの後悔よりも、跳んで失敗したことによる後悔のほうがいい・・・、やっておけば良かったという生き方をしたくないと強く思ったのです」と語っています。
 さて、五輪のフィギュアスケートにはいくつかの「ジンクス」があります。
 例えば女子シングルでの「青い衣装の選手が金メダルを獲得する」という様なジンクスですが、そのうちの最も有名な一つに「ラフマニノフピアノ協奏曲の呪い」があります。
 これはアルベールビルの伊藤みどりから始まり今も続いているジンクスなのですが、「ラフマニノフピアノ協奏曲」はそのドラマチックな曲調ゆえに毎年の様に使われる人気曲。それにも拘らず、この曲で五輪を滑った選手はことごとく本番でミスがあり金メダルを逃しているのです。いつしか「ラフマニノフピアノ協奏曲第二番を使った選手は金メダルを取れない」というジンクスが囁かれる様になり、そのジンクスは現在も続いています。
 浅田真央はソチを最後の五輪と決めた今シーズン、フリーにこの「ラフマニノフピアノ協奏曲第二番」を選択しました。
 伊藤みどりとは山田真知子コーチの元で育った先輩後輩の関係であり、五輪でトリプルアクセルを決めることができたのは未だこの二人だけ。二人ともトリプルアクセルへの挑戦を通して女子フィギュアの歴史そのものを作ってきた選手という共通点があります。 伊藤みどりを尊敬していると言い、その系譜を引き継ぐ浅田真央が奇しくも最後の五輪で、伊藤みどりの最後の五輪と同じ曲を選択したのでした。
 これは偶然なのか、それとも運命なのでしょうか。
 先日NHKスペシャルで浅田真央特集が放送されましたが、この中でハッとしたシーンがありました。
 番組中、浅田真央がFP振付の為にアメリカのスケートリンクを訪れた際の映像が流れたのですが、そこで振付師のタチアナ・タラソワが、ソチ五輪で使用する曲として用意していた2曲の候補曲を浅田に聞かせます。
 タラソワが用意した2曲は、一つが「ラフマニノフピアノ協奏曲第二番」、そして却下されたもう一つの候補曲が、アルベールビルで金メダルを獲得したヤマグチがオリジナルプログラムで使用した「美しき青きドナウ」だったことがこの時わかりました。
 「ピアノ協奏曲第二番」にじっと聞き入っている浅田真央の姿をみて、私はふとアルベールビルでの伊藤みどりの勇気を思い出していました。
 そしてソチ五輪で彼女が完結させようとしているのは浅田真央自身のドラマだけではなく、アルベールビルから続く伊藤みどりの物語でもあるのだと感じました。
 
 伊藤みどりの物語、それは悲願の金メダルを後輩の浅田が獲得するという類のものではありません。つまりそれは「挑戦から新たな境地を切り開く」女子シングルへの戦い、自分の限界との戦いでありながらそれが同時に競技自体を新しい境地へと突き動かしていくという大きな物語です。
 この様に語るとき「スポーツ選手であれば誰もが技術の限界を目指しているのでは?」という疑問を持たれるかもしれません。実は、まさにそこにフィギュアスケートの特殊な点があるのです。
 フィギュアスケートでは、実施する技の難易度によって決められる技術点の他に「出来栄え点」「演技構成点」という点数があります。
 強引にサッカーに例えると、1ゴールで貰える1点に当たるのが「基礎点」、シュート前後の足運びやポージングの難易度・美しさに付けられるのが「出来栄え点」、試合全体のフットワークや協調性、パスとパスの間に入れたテクニックなどを総合的に判断して付けられるのが「演技構成点」です。
 そして出来栄え点と演技構成点については、「起点から終点まで2M以上のジャンプに出来栄え1点を与える」という物理的な規定があるわけでは無い為、実は審判がそれぞれの主観で「高いジャンプだ」「曲を良く表現している」等の判断をすることになります。
 その為、何年も掛かって習得したより高度な技術によって得る1~2点のメリットは、審判に「素晴らしい」と思われることで得られる出来栄点や演技構成点の前に無になってしまうことがよく起こります。
 各審判の「美しい」「素晴らしい」という判断が、試合結果を左右することができるのです。
 しかし、この「美しい」「素晴らしい」という感覚は、少なからずフィギュアスケートを競技として行う際に矛盾を起こしてしまいます。
 フィギュアスケートに限らず芸術要素を含む分野では、これまで誰も見た事のない表現や技術が目の前に現れた時、必ず「これは美と言えるのか」という議論が巻き起こり、時には批判に晒されます。
 それはその新しい表現や技術の登場が、これまで「美しい」「素晴らしい」とされていた常識や感情を否定してしまう可能性がある故に起こる自然な拒否反応なのです。
 つまり、採点における「美」と言うのは「これこそが美しい(もしくは素晴らしい)」と既に皆の間で合意が得られている表現であり、それゆえに保守的な性質のものなのです。
 勿論、当初酷評された技術や表現が時間を経て絶賛されることもありますが、斬新であればあるほど認められるのには時間が掛かるでしょう。「美しい」「素晴らしい」という評価は、遅れてやってきます。
 そしてそれを待っているには、フィギュアスケートの選手生命は短すぎるのです。
 その為フィギュアスケート選手は、こぞって前人未到の技術に挑戦する事はしませんし、残念ながら勝利する為には必ずしも必要のないことになってしまっています。
 その様なフィギュア界に、例外的過ぎるジャンプ能力をもって旋風を巻き起こしたのが伊藤みどりでした。
 彼女は芸術点においては「女性的でない」と評価され、会場がブーイングする程低い芸術点を付けられたりすることもありましたが、彼女の登場こそが女子フィギュア界に「ジャンプと言う美しさもある」のだということを認めさせることになりました。

 浅田真央はジャンプの才能を持っていただけではなく、幼いころからバレエで培ったクラッシックな美をも兼ね備えており、シニアデビューとともに高い評価を受けて史上最年少でグランプリファイナルを制覇しました。
 しかしその選手人生はやはり順風満帆ではなく、度重なるルール改定により高評価を受けていたジャンプが一転して減点対象となったり、回転不足と判定されるようになったりと、とび抜けた技術点自体を押さえようとする動きを受けて苦しみました。
 又彼女はジャンプだけでなく他の要素でも最高の技術を追求する選手ですが、複雑な連続ターンを組み込んだ超難度のステップを試みた際に「ツイズル(ターンの一種)がうるさい」と審判側に批判されたことすらもありました。
 「かつてない最高の演技をしたい」彼女の障害は、「自分達が今まで見てきたものの中に最高を見出す」運営側との戦いでもあったのです。
 伊藤みどりから始まり完結していないこの戦いの物語に、もう一度大きな風穴を開けることができるのは、誰を置いても浅田真央しかいないでしょう。
 技術の限界に挑戦することへの揺るがない意思と勇気、そして同時に天に語りかける様な稀有な美しさを持つ浅田真央がどのような形でこの物語の歩みを進めてくれるのか、目前に迫ったソチ五輪が楽しみでなりません。